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作品解説② 五右衛門はなぜ死ななくてはならなかったか?ー舞台「君たちはどう死ぬか?」

作品最大の謎ー五右衛門はなぜ死ななくてはならなかったか?

「五右衛門は何故、自殺を選んだのか?」この問いに答えようと考えるほど、「あの頃、どうして死ななかった(死ねなかった)のか?」という自問自答が自分に迫ってきます。
生き延びてしまった自分がその問いに納得の行く説明をつけることは大変難しい。

死ぬことのできなかった男が脚本を書いているということそのものの矛盾が、恥が、作品に滲み出てしまった。その臭いを観客の皆に嗅ぎ取られてしまった。

自殺に魅入られる者たち

「あなたが深淵を覗く時、深淵もあなたを覗いている(ゲーテ)」ように、自殺志願者はある時ふと死が自分を手招きしていることに気づくのです。ぽっかりと空いた心の闇に深く吸い込まれそうになる。
まるで発作のように、無限の闇が肩口までやってきて、どうだ、やってみないかと耳元で囁く。
その甘い誘惑に心を乱されるのです。
これは自殺志願者、希死念慮者特有の感覚であって、筆舌で伝えることが難しいものなのだと思います。

”常人にはかり知れぬ絶望の淵にある”と五右衛門を評したのはハカセだけれども、絶望だけでは説明しきれない五右衛門の死を理解するには、五右衛門は”自殺に魅入られていた”、そう見做す他ないのかもしれません。

”ぼんやりとした不安”で死を選んだ芥川も、愛人とともに最期を遂げた太宰も、美しい肉体とともに美学としての生を完結させた三島も、人間社会への絶望以上に「自殺に魅入られていた」と言えるのではないでしょうか。

五右衛門を飲み込んだ孤独の闇

五右衛門は相棒を失い、抗争相手に追われ続ける息苦しい生活の中、社会で居場所を見失ってしまった。共に死ぬ仲間を求めて集まりへ来た。本当に死ぬつもりでいた。しかし、仲間のことを知るうちに、仲間には死んで欲しくなくなった。
不良だが善性を持つ五右衛門らしい結論ー”他の4人が死なずに済んだことを確認し、肩の荷が下りたように、安心して自死を選んだ”ということなのかもしれません。
これが最も整合性のとれた回答のように見えます。
だが、本当にそうだった(それだけだった)のでしょうか。

劇作家の死

五右衛門は何故、死を選んだのか?本当にその答えを知ろうとするなら、自身を投影して脚本を書いた劇作家の自殺観について詳らか(つまびらか)にする必要があります。

私はあなたたちと同じく、この人間と社会とに絶望した人間であることを証明しなければならない。
若いまま、蒼いままで死ねなかった自分の悔しさ。
憤慨したまま、我を忘れて屹立したまま、美しいまま自殺することができなかった若かりし自分の清らかな心への餞(はなむけ)。

五右衛門の一挙手一投足を固唾を呑んで見守る観客たちの衆人環視のもと、市井に拓かれた劇場の一角で、劇作家は私怨を晴らしてしまいました。
掟破りの公開自殺を身代わりである五右衛門に託し、処女作の舞台上で役者に演じさせて(自ら演じて)しまった。
そうすることで、若かりし日の自分の魂を弔おうとした。
未遂に終わった事を完遂し、都合よく人生の辻褄を合わせようとした。
その公私混同たるや!
私は自分を劇作家失格であると言わざるを得ません。

破滅こそがゴールであると”海へ飛び込んだレミング”のように、二十歳当時の私は自分を引き裂かなければ気の済まない、精神異常者・破滅志願者だったのかもしれません。
今もその名残は心の奥に残っていて、時折疼きます。
だから当時を懐かしんで、私は本を書くことができるのです。



(写真:佐藤洋志)

投稿日/更新日:2025.01.26/2025.01.30