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I元(観劇残留思念体)さんの劇評と短い対話ー舞台「君たちはどう死ぬか?」

Ⅰ元(観劇残留思念体)さんは東海地方で演劇の感想をSNS上へ投稿されている方です。
その活動はついに11年目に突入!
劇団garretの旗揚げ公演にも足を運んでいただけました。
Ⅰ元(観劇残留思念体)さんのXアカウント

以下、Ⅰ元(観劇残留思念体)さんのXでの感想のポストと藤岡のポストを合わせて転載します。

Ⅰ元(観劇残留思念体)さん 1)

社会と人間に絶望し、理不尽な運命に嫌気がさした… そんな体(テイ)の自殺志願者5名。それでも自分一人で命を絶つことができずに… 集ってしまった廃校の校庭、集団自殺決行の夜。そのタイムリミットは午前5時… その決心の顛末。

どうせ死ぬからと… 期せずして胸襟を開き、事情と心情を共有することになった彼ら彼女らの心境が…次第に揺らいでゆく。

さて、思いついた思索が一連の流れとして上手く文章に纏められなかったので、関心ごと散文的に書き散らかします🙇‍♂️

4つ挙げるけど、観てる間は①が一番楽しくて、観終わった後の解釈段階では②が一番興味深かったな😊…

Ⅰ元(観劇残留思念体)さん 2)

2)→①太宰とアゲハ どんより重めなシチュエーションに反して、芝居を観た最初の印象としては… 太宰とアゲハが面白かった😊

その深刻そうな振る舞いとは裏腹の… 人間味溢れる俗っぽさの滑稽味が味わい深い😋

太宰はそのキョドる振る舞いと吃音の感触が… 彼の心理の迷走ぶりを如実に体現していて、これがまたなかなかの名演技👏👏👏

そして… そこに絡んでいくアゲハの妖艶さ
その衣装黒地に赤と白の彼岸花… これがまた存在感を際立たせる。そしてそこから透けて滲むニヒルさが実に好い雰囲気を醸しでました😆

更には…まさかこんな死の間際に需要と供給の奇跡のマッチング。何と言うべきか… 率直に言えば 太宰もアゲハも… とっても ちょろかわいくて 最高だった🤭

どストレートに初体験と好みが溶け合って、突如 湧き上がる自己肯定感…急激に道が拓ける人生讃歌
それを難しい言葉で飾っている振る舞いが滑稽でもあり微笑ましくもあり😊

いやもう人間の生きる動機なんてそんなもんよ、それで善き哉😁あまりにもプリミティブ過ぎて、それにアテられて集団が… 計画が瓦解していくのも… なんかとても現実味がありました😊…

Ⅰ元(観劇残留思念体)さん 3)

3)→②五右衛門 改めて振り返ると…
やはり謎めくのは五右衛門の存在🤔

結果的に一人で死ねた人間が… そもそも何故この会合に加わったのか。(コミュニティへの唐突な介入者であったことはあからさまに怪しい。)

そして何より…何故わざわざ… 自分では死ねない振りをして見せたのか🤔

純粋に好意的に解釈すれば、残される2人(ハカセとかのん)の決断を気遣った… ってことになるのだろうか🤔

思えば、太宰とアゲハが離脱を宣言した後に、五右衛門が2人に向けるダメ出しと正論は… あまりにも強烈で残酷で的を射すぎているのですが、これも敢えての釘刺しと… 今後の心の準備を与える親心的なモノなのかも… と思えば、そこに善意の存在を想像出来なくもない🤔

ここだけを切り出せば、彼にはこの集団自殺を止めるというミッションがあるように見えてしまうのだが🤔… こともあろうに、結局 彼だけが自殺を遂行してしまう😁
それでもやっぱり五右衛門には… 何となく「死ぬこと以外の目的」があったようにしか思えないのだけど、もしそうでないとしたら… ただの巡り合わせか、成り行きか、あるいはただの思いつきだとしたら… 驚くべきバタフライ効果😳

結果的に… まるで彼が生きていたことに福音を与えるような… そんな見事な死に様でした。どう死ぬかということは… どう生きるかということと同意かなとも思う🤔

ファンタジー的に妄想すれば… 彼が「死を赦されるための試練」が…彼ら4人を生かすことだったんじゃないか🤔… そんな風にも空想することができるのでした😊

… ま、流石にそれはないか😅

何にしても、劇作上の彼の存在の成り立ちは興味深いですね🤔…

Ⅰ元(観劇残留思念体)さん 4)

4)→③ハカセ この自殺集団… 主にハカセの知識や為人に依るのだけど、実にロジカルで民主的で価値観の多様性にも富んだ趣きで、ルールはあるけど、最終的に自殺するor自殺しないの判断が一切強制されないこうあるべしとの思想的圧力さえない🤔

故に犯罪や企みの匂いが一切無いのが…例えばミステリーなんかとは味わいが大きく異なっていましたね🤔

自殺するにも理あり…みたいな、自殺の選択肢を自分で握っていることで得られる生き方の自由さを担保しているかのような… そんな趣きもあった🤔

生きることにも死ぬことにも意義を認める… そこらへんの空気をハカセが担うのですが、最後に本人自身が自殺を翻意するのは良いとして、五右衛門の最期に対して「馬鹿なことを…」と呟くのには、一連の流れの中で些かの違和感が残りましたね🤔…

Ⅰ元(観劇残留思念体)さん 5)

5)→④かのん かのんの「鳥籠の中の花」演出は、当然 急遽の代役を補う為の苦肉の策であろうことは明白ですが、思いの外 意味あり気な空気を漂わせてくれて奏功… 実に良かった😆

もし事情を知らずにこれを観ていたら、私はきっとそこに何かの意味を見出した(捏造した笑)だろうな…と思う😅

そして… 「嬉しい。今日が人生最後の日。こんなに楽しいの、私、生まれて初めてかもしれない!」 フライヤーを見返すとキャッチフレーズにもなっていた… かのん のこのセリフはあまりにも衝撃的でした😆

そのシーン。何かが吹っ切れたような… 神々しさすらあった彼女の表情彼女だけは本当に死ぬのかもしれない… そう思わせた溢れんばかりの歓喜の有り様😊

これは… 親友との約束を遂に全うできることの喜び?🤔、それとも悔やみきれぬ後悔から解き放たれる安堵感?😆

然してその後に… 彼女がこの呪縛からあっさり解放される過程も理屈も言葉では理解するのですが、あの表情が鮮烈すぎて、むしろ結末は色褪せてしまっている… と感じているのは私だけなのでしょうか🤔

何かそこに… 常識を遥かに凌駕する価値観の提示を期待してしまっていたな😓

藤岡博孝

完全に理論武装したハカセや、一人で死ぬことの出来た五右衛門に良心の欠片のようなものが見え隠れするのは、そのモデルである作家の藤岡本人が、五十まで生き延びて丸くなってしまったために、筆も丸くなってしまったのか、それとも・・・作家本人があまり饒舌というのも野暮ですね。

藤岡博孝

「五右衛門の姿は二十代のうちに自殺で死にきれず、この年まで生き延びた藤岡が衆人環視の中、舞台上で行う公開自殺でもあった」のであります。 作家の藤岡本人にも説明しきれない成り立ちが五右衛門にはあって、それを観客が独自に読み解くという、結果的にそんな反響が得られて、作家冥利につきます

Ⅰ元(観劇残留思念体)さん

何かそう伺うと、やっぱり五右衛門は物理(モノノコトワリ)の外の存在…って気がしてしまいますね… まさしく劇作家の思念の代理人😊

藤岡博孝

正しく。最も深く自分を反映したキャラクターである五右衛門が、作家が意識していない言外を、思念の代弁者として作品世界へ導き入れてくれたーそんな形なのかもしれません。 I元さんの考察でこの作品への思い入れがさらに深まりました。 ありがとうございます。

投稿日/更新日:2025.01.24/2025.01.30